宇宙系AYAKOの日常

宇宙系、スピリチュアル大好き、日々学び、波動高く軽く、ルンルンの日常のメモです

良いも悪いも意味をつけるのは自分

一粒万倍と天赦日

 

何が良いことで何が良くないことだったか

って思うと

その基準はどこですかって思う

 

何にも良いことないなと

つぶやくことがよくあるけど

本気というより癖のような

挨拶のような、気合入れのような

そんな気がする

 

もしも見えていることが

自分の望んでないことだったときに

それが

「良くないこと」だと決める必要は

あるんだろうか

そしたら

それってどうして「良くないこと」なんだろ

それは

自分が見たいものではなかったからです

望んでいるものじゃないからです

 

望んでるものじゃなくて

見たいものじゃないからって

「良くないこと」っていちいち決めなくても

いいんじゃないかと思った

 

見たいものと違ったな

ただそれだけのことで

それが「良くない」わけではないよ

きっと

 

そうなんだよ

「良いこと」は自分の望むことだから

「良いこと」と決めるけど

そうじゃないことは

「良くない」「悪いこと」って決めなくても

よくない?

 

「良いこと」だけでいいじゃんか!

そうじゃないことが見えたら

それはそれで

それがどうした

だからどうした

そして 「ああ、これが見えてる」って

思うだけで

あとはもう

自分が見たいものを思い浮かべればいいのかも

 

見たくないものはスルー

完璧スルー

なんか通った?くらいのことです

 

良いこと悪いこと

それを決めるのは自分なので

しかも

良い悪いの基準って なに?

って思わない?

 

だからね

今日は

望んでないものというか

できれば違うもの見たかったけど

見えてはいなかった

だけど

それが良くないことだと決めるのは

いっさい止めることにした

 

そこに何が見えてても

それを自分の思うとおりに変えることは

絶対にできないのだから

スルーでいいんだって

それしかできないんだって

 

良い悪いというか

良い意味をつけることができるのは

自分自身

 

ですので

今日の一粒万倍日は

見えてるものが見たくないものだった時

それでもそれが「良くないこと」ではない

それを学んだので

ラッキーでした!

 

妄想レッスン 「現実は知らん力」で未来を変える!