「断言法」に夢中のあとに「良い気分」
こうなりたいということを
文章にして
それを15回書く
私は、○○になる
私○○は、こうなる
どうなりたいかを断言した形
なりたいとか欲しいとかではなく
「なる!」という書き方
それをノートなどに
15回毎日書くということ
やってました
毎日できなくてもいい
淡々と書くだけでもいい
できなくてもまた始めてもいい
特にこうしろっていう制限がなかったので
すがりました
ただ書いているだけだった期間が
長く続いて
他にもすぐに自分にできることをしながら
すがるように書いていた
良い気分とか関係なく
書けばいいんだと必死で書いた
それがそうなっているのか
実は今はよくわからない
だけど
最初すがって書き続けていたけど
だんだん
書くことをしなくなった
「断言法」だけにすがらなくても
よくなったということでしょうか
気づいたら
書くのを止めてました
ただ書くことで気が済んでいた気もします
そこにすがらなくてもよくなった
楽になってきたんだろうと思います
その時の書いたことが今そうなってるのか
はっきりわからないのが正直なところですが
いつのまにか書かなくてもいられるようになったことは
確かです
そのころエイブラハムの「良い気分」を知らなかったけど
書かなくなったということは
「気分が楽になってきていた」ということ
そこにつながっているんだと今は思います
苦しくて悲しくてどうしようもなかった時
泣きながらでも必死だろうと
すがっていようと
書くことで救われていたんだと思う
苦しい思いを紛らわせていたところも
きっとあったと思います
今ならば
もっと妄想しながらでも
「断言法」を楽しめるんじゃないかと思います
「良い気分でいること以上に大切なことはない」