「どんな自分も認めるだけ」がわかった
自分を認める
自分を愛する
今にすべてある
今に生きる
すでにある
いろんな言葉があって
いつも望む在り方を求めて
すでにそうなんだって
半ば言い聞かせ続けていた
こうなりたいのに
そうなれるのに
なんにもできてない自分
何も変わってない自分
やっぱダメじゃんかってがっかりする自分
そんなことを繰り返して
頭ではわかっていたつもりだったけど
自分を認めるってなんだ?
って本当はわかってなかったのかもしれない
何もしないでいることが一番の近道って
どういうことよ?
って思うことばかり
焦って嘆いて
今に不満ばかりだ
口では 今がすべて 満足 感謝
って言いながら
本当は自分がだめやろうだってせめて
自分の味方でいようって言いながら
ちっとも味方じゃなかった
今に集中
今はすべてってことは
なんだっていいんだって
どんな自分でもそれが最善なんだって
どれだけだらけていても
どれだけ苦しくても
今この自分はこれしかないだから
これが最高 これが100点満点
そういうことなんだ
そう思えなくても
何度も「これ100点満点なんだってば!」って
言い聞かせるようになって
どんな状態でも この今が
いやだなって思っていることすら
今 これ 100点満点にしちゃえばいいじゃんか
だれが決めるでもない
いったい どうなれば満点なの?
誰が決めるの?
自分が満点だって決めちゃえばよかったんだよ
もっと早く気づけばよかったなぁって
思う今も
100点満点なんだってば!!
それでいいじゃん
それ以上ないじゃん
どうなれば満点なんだ?
すべて今満点なんだから
いいじゃんか
このままやりたいこと
望むことを
やっていけばいいじゃんか
何もしないで
テレビを観続けた今日1日が
なぜ ダメな自分になるのか?
そんな決まり どこにあるのか?
何が点数高いのか?
全部 100点満点でいいじゃんか
自分は 今これで100点満点だ
美味しいものを食べても
歯が痛くて食べれなくても
それも100点満点なんだよ
運動不足でダイエットも続かない自分も
100点満点
お金を稼ぐことができない自分
100点満点
欲しいものを買えなかったことも
悔しいなと思う自分も 100点満点じゃん
それで何か問題あるのか?
ネットで読んだ引き寄せの記事で
その人は
自分のこと やることなすことすべて「完璧」
カンペキングの自分で生活するって書いてあった
その時頭ではまねをして口だけでも
「完璧な私が買い物してるんだ」って言いながら
全然わかってなかった
わかったのは
歯が欠けて歯茎が晴れてしばらく痛くて
ものが噛めなくて
美味しいもの食べれないことがとても嫌だった
痛いことがいやだったけど
ふと
歯が欠けて歯茎腫れてるんだから
痛いに決まってるじゃんか
痛くて当然じゃん
って思ったときに
ああ これ100点満点なんだな
って通じた感覚だった
痛くて当然なんだよ
噛めなくて当然なんだな
そこから すべてのことに「100点満点」を採用
だらけた1日を送っているのも
何もしないでいることが
一番気分がいいんだから
なんか始めたいな でもできない自分だな
それも100点満点だなぁ
って声に出して言うことを繰り返してる
開き直りみたいな感じだけど
そう思うことも100点満点
それでなんにも問題なんだってば!!
どんな自分も認めるって
この自分は今満点なんだから
ダメ出しなんか要らなかった
なんの基準で ダメとか決めてきたんだろ
どこにもそんな基準 なかったよね