宇宙系AYAKOの日常

宇宙系、スピリチュアル大好き、日々学び、波動高く軽く、ルンルンの日常のメモです

「感情の湧く場所を見つける」ってこれかな

エイブラハムのプロセスで

「感情の湧く場所を見つける」というページがあった

以前から

望むものを手に入れたときの「嬉しい」とか

「楽しい」とか「良い気分」になるなら

望むものとは違うものでも構わない

 

良い気分になれれば

なんでもいいということを聞いた

 

その感情が必要ならば

それを見つければいいんだ

 

嫌な現実を目の前にして

ただ流れてる映画だということ

それをこの手で書き換えることはできない

すでに流れてる映像だから

だからその嫌な見たくないものに

集中して嫌な気分になるなんてつまらない

 

だけど それが目の前に流れてしまって

それを観ながらでは「良い気分」になれなかった

 

ずっとそうだった

悔しいなむかつくな と感じながら

憎しみとか怨みとかを放っていた

それしかできなかった

いくら

観る前に「良いもの見れる」とか

「良いようになる」とか「これはこれでいいのだ」

とか唱えたりしても

見えてるものに意識が行って

良い気分からは遠かった

 

やっぱり

嫌なものは見ない聞かないのが一番だが

どうしてもそこにいなきゃならない

じゃあ

嬉しかったものを探す

 

本に 過去のことでもいいとあった

だから 過去の映像で

好きで何度も観て嬉しい気分になっていた

そんな映像を探して

 

目の前の見たくないものを流しつつ

良い気分だった映像をこっそり観ていた

 

流れてるものを似たものだが

過去のものは観ていて楽しかったから

嬉しかった映像だから

そっちを観ながら

現実の映像を流していた

 

その時の楽しい気分嬉しい気分だった

映像を観て

目の前の映像は気にならなくなっていて

ふと 目を その観たくない映像に戻したときに

 

過去の映像を観ていた続きのように

その

過去の映像が 今 観ているような感覚になっていた

 

すごく不思議だったが

2時間くらい ほとんど恨みつらみで観ていた

その嫌な映像も

過去の楽しいものを観ながら流していたので

恨みつらみも半減した

ゼロにはならない

 

ならなくていい

 

少し 楽になった

過去の「良い気分」を味わえるなら

また

この次もこうしていよう

 

苛立ちながら怨みながら

じっと 嫌な映像を見つめてるよりも

無理に「ありがとう、これでいいのだ」とか

念じているよりも

 

過去の「良い気分」を味わう方が

楽だった

 

目に前の嫌な映像も

本当は 過去の「良い気分」と同じ感情で

観たい

私はこれを

怨みながらではなくて

楽しくいい気分で 観たいんだ

 

良い気分でいたいだけだ

 

何がどうしてどうなっても

「良い気分」でいたいだけだ

 

本当に求めてるのは

本当の望みは

「良い気分」で「幸せ」「楽しい私」

人生は 喜び なんだって

 

少しづつ 波動を上げればいいんだ

 

ありがとう