心配してなかった理由
配偶者が
車で実家にひとり帰省して
戻ったときに
「長距離運転を心配した?」と
聞かれ
「何を心配すんの?」と
まったく意味がわからず答え
「事故るとかそういう」と言うので
「まったく心配しない」と言うと
「それはよかった」と言っていたが
なにがよかったんだかしらんが
信頼しているからだと勝手に思ったの
かもしれない
が
そうではなかった
まったく
まるっきし
心配というか
気にしてないというか
先回りして
そういうことを心配する頭は
さらさらなかった
言われて初めて
ああ そういうことかと思ったくらいだ
信頼とかではなくて
気にかけてもいなかったのだ
何も起きてないことに対して
気配りとかも
なかっただけだ
何も起きてないのに
悪い方に気持ちを向けて
心配していることが
なんて
無駄なんだろうと思うし
気になっていることも
今
何を考えようと
自分でどうにもできることではないのだ
それなら
何も起きてないことを
悪い方にだけ心配して
ずっと暗い気持ちでいるという
メリットってなんだ?
先のことを考えることのできる
立派な人間なんだわ自分っていう
自己満足?
今
何も起きてないよね
気になることはあっても
それについて
それの行く末を
勝手にマイナスに思って
その対策を練るとか
意味ない
心配しないことが
人として どうだろうと
誰が何を言おうと
どう思われようと
そんなことに
自分の人生の時間を
使うなんて!
そこまでおおげさに思うこともないけど
心配していなかったというより
なんにも起きてないことに
微塵も意識が向いていなかったことに
気づかせてもらった
そんな
連休
ゴールデンでもなんでもない
家事が増え
自由が減るだけの
連休の1日でした
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