宇宙系AYAKOの日常

宇宙系、スピリチュアル大好き、日々学び、波動高く軽く、ルンルンの日常のメモです

見たくない映画を観ながらどうしたいのか

その映画に関心を持たない

勝手にしろよって

その映像を重視しない

「現状はどうでもいい」から

そこに力を与えない

って わかってるんだけど~

 

見たくないなら

観ないでいればいいのに

どうしてもスクリーンを

見なくてはならない

それで

「現実無視」ってすごく難しいと

思い込んでしまってる

どうしても そこに集中して

悔しかったり悲しかったり

怨んだり憎んだりしてしまう

 

それなら どうするのか

じゃなくて

どうしたいのか?

 

見たいものを見て

楽しくなりたいだけ

 

見たくないそれは

ニセモノなんだから

信じちゃダメなんだから

そこにムキになると

スクリーンが大きくなっていって

どっち見てもその「見たくない映画」になっちゃうね

 

わざとやってんじゃないの?

ニセモノがこの私をだまそうとしてるんじゃ?

そうはいかないぞ

 

私は見たくない外側はいっさい信じない

自分の望むものだけ信じる

だから

見たくない映画のスクリーンが巨大化しても

「興味ないし」

「ニセモノに意味はない」

「ニセモノなんだから何も怖いことないじゃん」

 

不快な現実にリアクションしない

無視

無関心

見えていても

それは自分になんの影響も及ぼさない

 

だから

楽しく過ごせるように

準備する

 

見て嬉しくなる写真や動画を観る

大昔の動画だっていい

見るたびに嬉しくなるなら最高でしょ

 

美味しいものを食べると嬉しいから

妥協せずに

食べたいものを手に入れてきて

食べる

 

見なきゃならないものは

そこに流したままでいいから

あまり真剣にそのニセモノに

リアクションしない

必ず

少しづつでも

現実しらんっていうことが

「これか!」って思える時が来る

 

大昔に

子供が控え選手で毎週

試合に出ないことも多かったが

行ける場所であれば毎週

足を運びました

試合に出さないコーチを怨みながら

憎しみを感じながら

ベンチの子供の姿を見守りながら

子供が出ない時は試合自体

ほとんど真剣に見ることをせず

持参したおやつや飲み物

フードを食しながら

会場で時間を過ごした

あの時に

嫌な現実を無視する ということを

学んでいたわけではなくて

気を紛らせることができるなら

美味しいものを食べてればいいかと

いう考えで

毎回 たくさんのおやつを持参したのだった

 

その時とはまた違うかもしれないが

「見たくないものをスルーする」ために

美味しいものや動画や写真は

有効だと思う